梅田で人骨を大量に発見の報道〜古地図でみる梅田

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当ブログでは一度取り上げたことがある話題ですが、今回、大手メディアでも報道がありました。

 

 

出た!大阪・梅田で人骨1500体超 別の場にもウメタ?埋葬想定より遅い江戸〜明治(毎日新聞)

 

梅田北ヤードの開発に伴い、人骨が大量に発見されたとのことです。いつか出るだろうとは思っていましたが!

 

 

 

梅田は、阪急が開発するまでは沼地であり、墓地でありました。当初、1680年代ごろの埋葬が想定されていましたが、今回の発掘調査では、江戸時代末期〜明治20年ごろまでと推定されたようです。

 

阪急電鉄が梅田の開発を開始するのが明治42年以降、明治20年ごろまで墓地として北ヤード付近が利用されていたのであれば、阪急電鉄は当時、きっと状況を知っていたのではないでしょうかね〜 

 

明治42年の古地図を見てみましょう。

 

古地図は今昔マップ on the web(http://ktgis.net/kjmapw/index.html)より引用させてもらっています。

 

地図では、天満の方は栄えてますが、「大阪駅」「梅田駅」は当時、街はずれに位置しています。

 

今回の梅田北ヤード第二期の開発エリアも、ほとんど「草」のマークになっています。未開発エリアですが、はっきりとお墓のマークはないような。。

 

この大阪駅北側(梅田駅西側)は、国鉄がその後貨物線を作り、現在はJRが駅を地下化することになって、地上では高層ビルの建設が進んでいるところです。開発が進みつつも、今なお都会の中の異空間のように、夜はちょっとした寂しさを感じる場所ですよね。

 

 

 

ちなみに、昔は阪急梅田駅は現在の位置ではなく、阪急百貨店のステンドグラスがあった場所(現在は6列のエスカレーターがある場所)にあったため、地図上でも国鉄の線を越えた先に位置しています。

 

また、阪急梅田駅の下にある「北向き地蔵」(紀伊国屋書店の西側)も、かつてこの土地から掘り出されたものであると言われています。

 


この光景も、ここ数年で更に変わるでしょうが、江戸時代〜明治初期の人は、この土地がこんなことになるとは思いもしなかったでしょうね!

 

こちらもご覧ください:古地図でみる千里丘陵の歴史(メインブログ)

 

コロナで停滞気味ですが・・・

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