古地図を見て千里丘陵に思いを馳せる〜その3

JUGEMテーマ:大阪

 

 

前々回のエントリーで、大阪北部の古地図を見ながら千里丘陵の開発を振り返りました。前回のエントリーでは箕面が地形的に東西交通の要所であることに触れました。今回はいよいよ「阪急王国」の出番ですw

 

 

古地図は今昔マップ on the web(http://ktgis.net/kjmapw/index.html)より引用させてもらっています。

 

緑の点は、地図作成の時点(明治末期)で既に設置されている駅です。

 

現在の阪急宝塚線・箕面線は、阪急電鉄の路線の中で最古のものです!阪急宝塚線が、千里丘陵の「西側」を回り込むように設置されているのが分かります。

 

 

 

曽根〜岡町のあたり。地図の中に、阪急の前身である「箕面有馬電気鉄道」の文字がある。

 

千里丘陵西側は、能勢街道(現国道176号線)沿いに村が点在したものの、鉄道を引くほどの大都市はありませんでした。阪急の創始者である小林一三さんが沿線開発と同時に鉄道を引き、その後次第に街が発展していきました。

 

当時鉄道とは、大都市と大都市を結ぶものだったのですが、ベッドタウンと大阪都心を結ぶ鉄道という新ジャンルを阪急が確立したともいえます。

 

阪急宝塚線なしに千里丘陵西側の現在の発展はなかったことでしょう。阪急宝塚線・箕面線こそ、阪急王国の起源にして本丸といえます。

 

 

 

 

 

現在の十三駅近辺です。

(注釈:十三駅の記載がありませんが、箕面有馬電気鉄道開業は明治43年で十三駅も同時開業となっています。地図が42年測量のものなので多少ズレがあるかも知れません)

 

宝塚線のみ!まだ神戸線はなく、当初は別会社であった京都線も当然ありません。それぞれ10年〜11年遅れで開業です。

 

 

石橋駅付近です。ちゃんと箕面線分岐があります。右上の「半町」「瀬川」というのは、西国街道沿いの街です。

 

このように、千里丘陵の「西側」はまさに、阪急電鉄によって開発された土地であるといえます。

 

 

こういう歴史ある宝塚線・箕面線なのですから、阪急電鉄はもっと大切にして欲しいものです(箕面線準急を廃止したりせずに!)。あと、朝の混雑がひどすぎませんか?阪急ブランドを守るためにも、社長!何とかしてください!!笑

 

 

古地図を見て阪急沿線の価値を再認識した!と少しでも思っていただけた方は、

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