古地図を見て千里丘陵に思いを馳せる〜その2

JUGEMテーマ:大阪

 

前回のエントリーでは、大阪北部の古地図を見ながら、千里丘陵の開発の歴史を振り返りました。

 

 

これです。

 

古地図は今昔マップ on the web(http://ktgis.net/kjmapw/index.html)より引用させてもらっています。

 

この地図を眺めていると、もう一つ面白いことに気づきませんか?

 

 

 

千里丘陵の背後のスペースが気になる!(><)!

 

千里丘陵が開発される前は、京都方面から大阪を経由せずに西へ抜ける抜け道になっていた!?

 

 

拡大してみると・・・ここ、箕面やん!!

 

 

 

そうです。このルートが旧西国街道(現国道171号線)です。箕面に旧街道が通るのは、地形上の必然だったのですね。

 

 

 

今まで当ブログでも、意外と深い(?)箕面の歴史について触れてきました。

為那都比古(いなつひこ)神社

如意谷銅鐸

 

明治よりももっと時代を遡ると、大阪平野の大部分が海であった時代があります。阪急千里線の豊津駅(千里山駅の少し南)というのがありますが、「豊津」というのもそこが海沿いであった名残とされています。

 

 

千里丘陵を挟んで海と隔てられている箕面は、古代日本においても安全な陸路だったと思われます。そう考えると、古代日本においては、きっと箕面が東西交通路のメインストリートだったのですね!

 

 

箕面は千里丘陵のバイパスだった!

 

これ、北摂市民でも気づいている人意外と少ないのでは・・・!

 

 

 

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