巽村

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一昨日、巽(たつみ)神社を取り上げました。

 

その際の古地図と現在の地図との比較を再掲します。

 

 

赤矢印が「巽神社」です。

古地図にて、「巽村(たつみむら)」の記載があります。巽村の集落の、現在の姿はどんなものになっているのでしょうか?ということに興味を持って付近を散策いたしました。

 

 

古地図中の、「南北のまっすぐの道」です。写真右端に、巽神社の鳥居があります。古地図にて、巽神社の参道と、「南北のまっすぐの道」が交差する地点と思われます。

 

「南北のまっすぐの道」を北上していくと・・・

 

 

ちょっと大きな交差点。旧巽村の集落の中心点(古地図で十字路になっているところ)と思われます。合ってるかな・・・

 

 

交差点の北側から。あまり古い街並みは残っていない・・・というか、どこにでもありそうな普通の街並み。

 

 

こういう微妙に位置のずれた交差点は、なんとなく古い街並みの名残りのような気が・・・けれども散策の範囲内では古めかしいものは見つかりませんでした。

 

逆に、神社は昔の痕跡をしっかりと伝えているので、すごいですね〜

 

 

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巽神社

JUGEMテーマ:神社仏閣

 

 

昨日のエントリーに続いて、こちらもたまたま通りがかり。

 

北摂市民には馴染み薄い大阪メトロ千日前線の終点、南巽(たつみ)駅近くの、「巽(たつみ)神社」。

 

1907年(明治40年)、巽村内の複数の神社を合祀して創建されたとのこと。

 

 

巽神社1.JPG

 

よくある明神鳥居。笠木、島木の反り増しあり(てっぺんが上に反っている)。鳥居の色は鳥居の種類と関係ありません。

 

巽神社3.JPG

 

巽神社2.JPG

 

さて、道路(内環状線)を挟んで反対側にも明神鳥居あり。はて、これいかに?

 

気になったので明治42年の古地図をみてみました!

 

古地図は今昔マップ on the web(http://ktgis.net/kjmapw/index.html)より引用させてもらっています。

 

左側が明治42年測量の地図(巽村と記載あり)、右側が現在の地図です。分かりにくいですが、矢印が巽神社です。

 

縦にまっすぐ伸びているのが旧道で、現在の地図では黄色い線で示されています。黄色い線を斜めに横切るように赤い線の道路(国道479号線・内環状線)があります。もともとあった参道を突っ切るように、国道が建設された結果、鳥居が道路を挟んで前後に分割されてしまったのですね!

 

神社はその地域の歴史を物語り、興味深いです。

 

 

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古地図を見て千里丘陵に思いを馳せる〜その4

 

 

「箕面有馬電気鉄道」は阪急電車の前身です。つまり、箕面線・宝塚線こそが阪急電車の本流といえます。

 

阪急電車のルーツをたどる上で、「箕面駅」は一つの鍵になります。本日は箕面駅を古地図で見てみたいと思います。

 

 

 

古地図は今昔マップ on the web(http://ktgis.net/kjmapw/index.html)より引用させてもらっています。


箕面駅周辺の、明治42年測量の地図です。箕面駅のところで、線路が輪をつくっている図が確認できます。

 

これは、地図の間違いではなく、明治48年撮影の箕面駅の写真でも確認できます。

 

箕面old1.JPG

 

有名な箕面駅のループ線です。いわゆる「ラケット型線路」。折り返しなくぐるっと回って石橋方面へ行けます。

 

現在の箕面駅も、終着点であるにも関わらずわずかに孤を描く駅ホームになっており、当時の面影を残していると思われます。

 

 

 

 

明治時代の地図と、現在の地図の比較です。箕面川(青矢印)や、神社仏閣(緑矢印)は今も昔も変わりません。駅の周囲の道路(オレンジ色)も、現在の地図となんとなく合っていますね。

 

こういう歴史ある街では、道路が複雑に入り組んでいたり、意味もなくカーブしているように見えたりすることがありますが、段階的に発展してきた重層的な街並みの証とも言えます。

 

 

 

箕面old4.JPG

 

現在の阪急箕面駅。手前のロータリーがループ線の名残りと思われます。

 

ロータリーの路地裏にも、古い街並みが残されています。

 

箕面old5.JPG

 

地図中の赤矢印の地点です。箕面大滝への旧箕面街道と思われます。

 

 

箕面old7.JPG

 

石碑。古さがかもし出ていていいですね。

 

 

箕面old10.JPG

 

由緒ありそうな泉。

 

 

箕面old9.JPG

 

中の坂。古代から聖地視されていた箕面山、その宗教世界の入り口とされていたようです。地図でも、山の辺縁に沿って神社仏閣が並んでいるようにも見えます。

 

 

 

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古地図を見て千里丘陵に思いを馳せる〜その3

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前々回のエントリーで、大阪北部の古地図を見ながら千里丘陵の開発を振り返りました。前回のエントリーでは箕面が地形的に東西交通の要所であることに触れました。今回はいよいよ「阪急王国」の出番ですw

 

 

古地図は今昔マップ on the web(http://ktgis.net/kjmapw/index.html)より引用させてもらっています。

 

緑の点は、地図作成の時点(明治末期)で既に設置されている駅です。

 

現在の阪急宝塚線・箕面線は、阪急電鉄の路線の中で最古のものです!阪急宝塚線が、千里丘陵の「西側」を回り込むように設置されているのが分かります。

 

 

 

曽根〜岡町のあたり。地図の中に、阪急の前身である「箕面有馬電気鉄道」の文字がある。

 

千里丘陵西側は、能勢街道(現国道176号線)沿いに村が点在したものの、鉄道を引くほどの大都市はありませんでした。阪急の創始者である小林一三さんが沿線開発と同時に鉄道を引き、その後次第に街が発展していきました。

 

当時鉄道とは、大都市と大都市を結ぶものだったのですが、ベッドタウンと大阪都心を結ぶ鉄道という新ジャンルを阪急が確立したともいえます。

 

阪急宝塚線なしに千里丘陵西側の現在の発展はなかったことでしょう。阪急宝塚線・箕面線こそ、阪急王国の起源にして本丸といえます。

 

 

 

 

 

現在の十三駅近辺です。

(注釈:十三駅の記載がありませんが、箕面有馬電気鉄道開業は明治43年で十三駅も同時開業となっています。地図が42年測量のものなので多少ズレがあるかも知れません)

 

宝塚線のみ!まだ神戸線はなく、当初は別会社であった京都線も当然ありません。それぞれ10年〜11年遅れで開業です。

 

 

石橋駅付近です。ちゃんと箕面線分岐があります。右上の「半町」「瀬川」というのは、西国街道沿いの街です。

 

このように、千里丘陵の「西側」はまさに、阪急電鉄によって開発された土地であるといえます。

 

 

こういう歴史ある宝塚線・箕面線なのですから、阪急電鉄はもっと大切にして欲しいものです(箕面線準急を廃止したりせずに!)。あと、朝の混雑がひどすぎませんか?阪急ブランドを守るためにも、社長!何とかしてください!!笑

 

 

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古地図を見て千里丘陵に思いを馳せる〜その2

JUGEMテーマ:大阪

 

前回のエントリーでは、大阪北部の古地図を見ながら、千里丘陵の開発の歴史を振り返りました。

 

 

これです。

 

古地図は今昔マップ on the web(http://ktgis.net/kjmapw/index.html)より引用させてもらっています。

 

この地図を眺めていると、もう一つ面白いことに気づきませんか?

 

 

 

千里丘陵の背後のスペースが気になる!(><)!

 

千里丘陵が開発される前は、京都方面から大阪を経由せずに西へ抜ける抜け道になっていた!?

 

 

拡大してみると・・・ここ、箕面やん!!

 

 

 

そうです。このルートが旧西国街道(現国道171号線)です。箕面に旧街道が通るのは、地形上の必然だったのですね。

 

 

 

今まで当ブログでも、意外と深い(?)箕面の歴史について触れてきました。

為那都比古(いなつひこ)神社

如意谷銅鐸

 

明治よりももっと時代を遡ると、大阪平野の大部分が海であった時代があります。阪急千里線の豊津駅(千里山駅の少し南)というのがありますが、「豊津」というのもそこが海沿いであった名残とされています。

 

 

千里丘陵を挟んで海と隔てられている箕面は、古代日本においても安全な陸路だったと思われます。そう考えると、古代日本においては、きっと箕面が東西交通路のメインストリートだったのですね!

 

 

箕面は千里丘陵のバイパスだった!

 

これ、北摂市民でも気づいている人意外と少ないのでは・・・!

 

 

 

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